劣等感と優越感

こんにちは。コーチングオフィスMISSIONの浅川孔明です。
今日は、「劣等感」「優越感」について書いていきたいと思います。
みなさんは「劣等感」、お持ちでしょうか?
「劣等感」と「(劣等)コンプレックス」の違い、理解していますでしょうか?
今日は、改めてここにフォーカスを当ててみたいと思います。ぜひ一緒に確認していきましょう。
目次
- ○ 「劣等性」と「劣等感」と「劣等コンプレックス」
- ・劣等性とは
- ・劣等感とは
- ・劣等コンプレックスとは
- ○ 「優越感」「優越コンプレックス」とは
- ・優越コンプレックスとは
- ・優越性の追求
- ○ まとめ
- ○ 併せて読んでいただきたい記事
「劣等性」と「劣等感」と「劣等コンプレックス」
アドラーは、「劣等性」と「劣等感」と「劣等コンプレックス」というものを明確に区別して扱いました。
人が劣等感を抱くことは不健全なことではない。
劣等感をどう扱うかが問題だ。
というふうにアドラーは言っています。
理解するための鍵が、「劣等性」と「劣等感」と「劣等コンプレックス」です。
それぞれを見ていきましょう。
劣等性とは
アドラーは人間の劣等感の起源には、
医学的・身体的な「器官劣等性」があると考えました。
器官劣等性(以下、「劣等性」)とは、10歳頃までに認識される、恥ずかしい・困難さ・不便さを感じさせる身体疾患(身体的な欠点・障害・問題・奇形)といったことです。
具体的な劣等性の例としては、
「口がきけない」
「耳が聞こえない」
「背が低い」
「肌が弱い」
「胃腸が弱い」
などのような、
「具体的な事実として劣った性質」のことです。
劣等感とは
劣等感とは、
「耳が聞こえない」
「背が低い」
などの劣等性に対して、
「どうして自分だけ○○なんだろう」
「自分は○○が劣っているからダメだ」
などのように、「自分が劣っていると『主観的に』思う」ことを、
「劣等感」と言います。
ですので、
具体的に「劣等性」があったとしても、
もしそれを本人が劣っていると思わなければ、「劣等感にならない」ということになります。
劣等コンプレックスとは
では、「劣等コンプレックス」とはなんでしょうか。
「コンプレックス」という言葉は聞いたことがあっても、
「劣等コンプレックス」という言葉までは聞いたことが無い方も多いのではないでしょうか。
劣等コンプレックスとは、
劣等性により、劣等感を持ってしまった人が、人生の課題から逃げてしまう言い訳に劣等感を使っていることを「劣等コンプレックス」と呼んでいます。
「どうせ自分は○○だからやってもしょうがない」
「自分は○○だから助けられて(してもらって)当然だ」
などや、
「親の遺伝のせいで自分は○○が出来ない」
「家が貧乏だから、自分は何もできない」
などの、現在の問題を人のせいにして努力を放棄して課題から逃げることも
「劣等コンプレックス」となります。
「劣等感」が問題なのではなく、人生の課題に向き合わずに放棄してしまう「劣等コンプレックス」が問題なのです。
「優越感」「優越コンプレックス」とは
「優越感」の定義は、
「容姿、体力、知的能力、性格、血筋、社会的地位などの点で、自分が他者よりも優れているという感情」
のことを言いますが、
「優越感」という言葉もまた、
1900年代の初めにアドラーが初めて提唱した言葉のようです。
アドラーは、「優越コンプレックス」という言葉を研究では用いました。
これは一体どういうものなのか、みていきましょう。
優越コンプレックスとは
アドラーは、優越感は、劣等感で傷つく自分の心を守るために生じる、心の防衛機能だとアドラーは考えました。
劣等感をうまく扱うことのできない人は、劣等感による辛さを減らすために、他者よりも勝っている部分を強引に見つけ出し、補おうとしてしまう、と考えました。
劣等コンプレックスを克服するために優越コンプレックスが生じてしまう、ということです。
その優越コンプレックスとは、
「自分を実際よりも優れているように見せようとする」
「自分は人よりも優れていると『見える』ように努力をする」
ことです。
具体的な行動としては、
「必要以上に外見を着飾る」
「学歴や肩書を誇示する」
「人を見下すような態度をとる」
「弱い立場の人に対して威張る」
「過去の栄光の話ばかりする」
「他者の価値を貶めるような批判をして相対的に自分を上に置こうとする」
「特殊能力を強調する」
などです。
これらの行動は、実際に「そう」だからするのではなく、「そう見える」ことに努力を傾けており、背後には強い劣等感が隠れているのです。
優越性の追求
アドラーは、人がよりよくを目指して活動するのは、「優越性の追求」があるからだと言っています。
「すべての人を動機づけ、われわれがわれわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である」
ここでの大事な点は、
「優越感の追求」ではなく、「優越性の追求」という点です。
優越性の追求、というのは、「競争」ではありません。
人と比べてどう、他人よりもどこが勝っている、優れている、
ではなくて、
「自分にとってどうか」「目指す自分に近づいているか」
が大事だということ。
平らな地平をみんながそれぞれのペースで一緒に前に向かって進んでいる、
そんなイメージを持ってみるといいかもしれません。
アドラーは、優越性の追求についてさらに、
自分のためだけでなく、「他のすべての人を豊かにするように」、「他の人も利益になるように」
そんな仕方で前進していこう、と言っています。
まとめ
以上、これまでの要点を簡単にまとめますと、
「劣等性」と「劣等感」、「劣等コンプレックス」はそれぞれ違いがあり、
「劣等性」や「劣等感」自体が悪いものではありません。
「劣等コンプレックス」により、人生の課題から逃げてしまうこと、それが問題であり、
「劣等感」と向き合って、自分の人生をよりよいものへと進展させていくことだって可能なのです。
劣等コンプレックスから、辛さを優越感で補おうとして、優越コンプレックスに逃げ込むことも好ましくありません。
強さや重要な人物に見せようとすることに努力をするのではなく、
自分や他人、この世界がより豊かになるような優越性の追求に目を向けていきましょう。
こんな感じでしょうか。
いかがでしたか?
みなさんのなかで気になった部分はありましたか?
何か一つでも自分の人生のヒントに持ち帰ってもらえたら嬉しいです。
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