権力争いを仕掛ける相手
こんにちは。コーチングオフィスMISSIONの浅川孔明です。
今日は、アドラー心理学で言われている「権力争い」について少し書いてみたいと思います。
さらに、権力争いをどうして挑みたくなるのか、について考えてみたいと思います。
ぜひ一緒に今日は「権力争い」についてみていきましょう。
目次
「権力争い」とは
アドラー心理学では、対立が起こっている時に「権力争い」が起こっているかどうか、という視点が重要視されています。
ここでいう権力争いというのは、
非難や挑発を行い、争いを挑み、
・気に入らない他者を屈服させる目的
・勝つことで自らの力を証明したい
というもののことになります。
権力争いに駆り立てる、根底にあるものは、いったいなんなのでしょうか。
権力争いの根底にある「正しさ」
権力争いに駆り立てる根底にあるものは、
「自分こそ正しい」
という想いです。
「わたしは正しい、あなたは間違っている」という世界に入り込んだ時、そこに権力争いの種が生まれます。
この瞬間から、「間違っているものには勝たなければ」、という勝ち負けの争いが始まる、という考え方もありますが、私は、この段階ではまだ争いが始まっているところまでは来ていないと思います。
なぜかというと、例えば、初対面の人で、今後この人と会うことは無いだろうという人と仮に「この人のいっていること間違っているよね」となったとき、現代社会では、わざわざ気まずくなるリスクを取ってまで「考えを正してやろう」「言い負かしてやろう」などと、争おうという気持ちは湧かない人が多いのではないかと思います。
意図はなくとも、「権力争いから降りる」結果を取れていることも多いと思います。
だからこそ、
自覚して「意識して権力争いから降りる」ということがなかなか難しい、というやっかいな一面に繋がっているような気がします。
動の権力争い
権力争いの説明時、良く例に出されるのが、「怒り」です。
非難や挑発を用いて、相手の怒りに火をつけ、権力争いに持ち込む。
というものです。
「感情」は人を動かす非常に強力なエネルギーです。
争い、という勝ち負けをつける戦いに持ち込むのに、「怒り」という感情はまさに最適な道具です。
人は巧妙に、この人のどこに攻撃をすれば、反応して怒りとなるか、どこまでだったら大丈夫そうか、を観察する力を幼少期から成長する過程で鍛え養ってきています。
これを「動」の権力争いだとすると、
「静」の権力争い、といえるものもありそうです。
静の権力争い
静の権力争いは何かというと、「怒り」を用いない、理性的な権力争いです。
簡単に言うと、「脅し」です。
「そんなことを言って大丈夫なのか?」
「じゃあ、もう~~してあげないからね?」
「今まで~~してきたのを忘れたのか?」
などと、
「立場の圧力」や「(怖れの)取引」などを用いることによって、理の力で相手を屈服させにかかることもあります。
この場合も、互いの主張の中身はもうどこかに置いていかれてしまって、
単に、自分の主張を飲ませること、相手を引き下がらせること、
が主題になってしまっています。
このように、「怒り」以外にも「権力争い」に持ち込む、持ち込まれる要素はありますので、ぜひ注意深く意識して日々を過ごしていくことが大切です。
権力争いを挑む相手
では、権力争いはどんな相手に挑んでしまうのでしょうか。
最初の方でも書いた通り、おそらく見ず知らずの人や、今後もう会うことはないでしょうという方には挑んだりしようとは思わないのではないでしょうか。
おそらく、身近にいてコミュニケーションを取る頻度の高い人、
自分にとって特別な人、重要な人、つまり、
「大事な人」ほど「権力争い」が起こる傾向が高くなるのではないでしょうか。
だとすれば、権力争いに入りかけたときには、
「自分にとってこの人がどんな人なのか」に立ち戻って、
「私は○○さんに認めてもらいたいんだ。だったら、今のこのやりとりが最適なのか?」
「私は○○に理解してほしいんだ。だったらもっとこれを伝えた方が良いんじゃないか?」
「○○はきっと私に認めてほしいからこうしてきているじゃないか。だとしたら、どんな行動を返すことが最適だろうか?」
「○○はもしかしたら私に理解してほしいだけなのかもしれない。だったらもっとこれを伝えてみようかな?」
などと、ぜひ他の建設的な可能性に目を向けていってもらえたらと思います。
大切なのは、自分が何を求めているのか、「理解」なのか「安心」なのか「愛情」なのか「信頼」なのか、、、をちゃんと理解して認められること。
ぜひ権力争いが起こりそうなときにはこのようなことも意識してみてください。
まとめ
権力争いとは、
争いを挑んで、相手を屈服させることが目的で、主張の中身云々よりも、自分の力を証明したいという思いの表れ。
その根底にあるのは、「自分こそが正しい」という思いであり、「相手を打ち負かしてやろう」という思い。
権力争いには、よりダイナミックな「怒り」というエネルギーが用いられることもあれば、
冷静な「理性」というエネルギーに働きかける場合もある。
いずれの場合も、権力争いに挑もうとする相手は自分にとって「大事な人」である場合が多い。
なので、そんな場合は、「どんな大事な人なのか」に立ち戻って、権力争いに持ち込むことが本当に合理的な方法なのか、他の最適な方法は何か、に思いを巡らせてみること、が大切になります。
いかがでしたか?
みなさんのなかで気になった部分はありましたか?
何か一つでも自分の人生のヒントに持ち帰ってもらえたら嬉しいです。
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